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①「パチンコ」による借金が原因で自己破産(埼玉県在住の男性・Aさん・29歳)
当事務所に相談に来る前のAさんの生活状況
Aさんは、専門学校卒業後に中規模の電化製品の販売会社に就職しました。もともと、まじめな性格だったAさんは、入社してからというもの、1日でも早く販売員の仕事を覚えようと自分から希望して毎日残業しながら働いていました。その甲斐もあってか、入社してから5年後には、会社からも信頼され期待されるようになり、Aさんも昇進して何人もの部下をもつようになりました。しかし、昇進してからというもの、会社内での責任がより一層に重大になり、また、自分の部下のミスによるトラブルに対応するなど、ストレスの多い生活を強いられるようになりました。
ギャンブルはあまり好きではなかったAさんでしたが、テレビのパチンコ番組をみて興味が湧き、仕事のストレスを解消できるかとも思い、昇進して間もない頃から、休日にはパチンコ店に通うことが多くなりました。
パチンコを始めた当初は1日1万円以内と自制しながら楽しむことができたのですが、負けが込んでくると負けた分を取り返したい気持ちが次第に強くなっていき、半年も経った頃には、1日2万円、1日3万円と使う金額も多くなっていきました。
そして、パチンコをやり始めてから1年も経過した頃には、休日のみならず平日でも通うようになり、ほとんど毎日会社帰りに閉店までパチンコ店で時間を過ごすようになり、給料の大半をパチンコに使うようになってしまいました。
さらに、パチンコをやり始めてから2年も経過した頃には、寝ても覚めてもパチンコのことばかりを考えている生活で、パチンコをやらない日は精神的に落ち着かなくなるという完全にパチンコに依存する状態になってしまいました。その頃には、1日に10万円以上使う日もあり、パチンコ代が自分の給料だけでは足らなくなると、友人や知人からお金を借りるようになり、遂には、パチンコ代を消費者金融会社やクレジット会社からも借り入れるようになってしまいました。
それからというものは、消費者金融会社やクレジット会社が簡単に融資することもあり、Aさんの借金の総額はものすごい勢いで増え続けて、毎月の返済額が自分の給料だけでは足らなくなり、消費者金融会社やクレジット会社への返済金を用意するために消費者金融会社やクレジット会社から借り入れを重ねるという自転車操業状態に陥り、益々、Aさんの借金の総額は増え続け、約500万円以上もの金額になってしまいました。
その頃には、既に限度額まで借り入れているためにどこの消費者金融会社やクレジット会社からも融資を受けられなくなってしまい、他方で、返済が遅れると消費者金融会社やクレジット会社からの取り立ての電話が一日に何十回もかかってくるような状態になってしまいました。このままでは返済できないと思ったAさんは、消費者金融会社やクレジット会社への返済金を用意するために、販売員の仕事の合間を縫って、深夜にコンビニエンスストアーでアルバイトをするようになりました。
しかし、ただでさえ販売員の仕事は1日中立ちっぱなしの重労働で肉体的にきつく、また、昇進してからはストレスの多い精神的にもきつい状態で仕事をしているにもかかわらず、会社帰りに睡眠時間を削ってアルバイトをする生活は無理がありすぎ、2ヶ月も経った頃には、Aさんは体を壊して入院してしまいました。
その入院した際になってようやく、Aさんは病院のベットの上で自分があまりにも無謀すぎる生活を送っていることに気づき、自分一人の力では借金を整理することは不可能であることを悟り、友人からの勧めもあり、専門家に相談することを決意し、当事務所に相談に来ました。
当事務所に相談に来てから自己破産の申立てをするまで
まず、当事務所に相談に来るのと同時に、借金を整理することの正式な依頼がAさんからなされたため、当事務所はすぐに各貸金業者に「電話」をして「Aさんの借金の整理の依頼を受けたこと」「今後は、Aさんに対して直接的な取立行為を厳に慎むこと」及び「Aさんに関する取引履歴(Aさんと貸金業者との間の取引の経過の記録)を速やかに開示すること」を「口頭」で通告し、その日のうちに「配達証明郵便付」で「受任通知」を郵送しました。
次に、現在のAさんの生活状況などをお聞きすると、当事務所に相談に来た時点で、Aさんは「入院費用や当面の生活費を用意するためには退職金しかあてがなかったこと」及び「ストレスの多い地位にも限界を感じていたこと」などから、既に、コンビニエンスストアーのアルバイトのみならず電化製品の販売会社も退職していました。
また、Aさんの体調も完全によくなっているわけではなく、いつ働くことができるまで体調が回復するか分からない状態でした。
さらに、Aさんと消費者金融会社やクレジット会社との間の取引期間はいずれも短く、利息制限法の制限利率による引き直し計算をしても、過払金の存在はもちろんのこと、大幅な借金の減額も期待できない状態でした。
そこで、当事務所としては、現在のAさんが全く収入がなく、また、いつから働き始められるかも分からない体調であり、返済資金を用意できる見込みが全く立たない状態であったため、Aさんに「自己破産」によって借金を整理することを勧めました。
最初は「自己破産」をすることに不安を感じていたAさんでしたが、当事務所からの説明により、「自己破産」をしても今後の日常生活に支障が生じることがほとんどないことを理解して安心し、Aさんは「自己破産」をすることを決意しました。
なお、当事務所の基本方針としては、本件のような利息制限法の制限利率による引き直し計算をしても返済できないほどに借金が残存するが、他方で依頼者本人に反復継続して収入が得られることを期待できる場合には、「個人民事再生」という借金の整理方法があることを説明し、この方法によれば「自己破産」が避けられることを併せて詳しく説明します。
これは、「個人民事再生」によれば、将来の利息・損害金がカットされるだけではなく、借金の元本も大幅にカットされ、また、それを向こう3年以上の分割払いで支払うことによって全ての借金を整理することができます。
(具体的には、本件のような約500万円の借金でとりたてて財産の無い人であれば、その20%の金額である約100万円を支払えばよく、その支払いも、向こう3年の間に毎月・約2万7800円を36回で支払えばよくなります。また、正当な理由があれば5年間まで返済期間を延長させるが可能となり、その場合は毎月・約1万6700円を60回で支払えばよくなります。)
そして、このようにして返済計画を立てて「個人民事再生」の手続を利用すれば「自己破産」が避けられることを説明すると、「個人民事再生」によって借金を整理することを希望する依頼者の方が多いからです。
また、当事務所としましても、20代や30代前半の比較的年齢の若い人に安易に「自己破産」をすることを勧めることは、職業倫理感上問題があると考えれるからです。
しかし、Aさんの場合、年齢は20代後半と確かに若いのですが、前述のとおり、現在Aさんは収入がなく、また、Aさんの体調を考えるといつ働き始められるかも分からない状態であったため、借金に対する返済資金を用意できる見込みが全く立たない故に、Aさんに「民事再生手続」の手続について説明するのと同時に「自己破産」によって全ての借金を整理することを勧めました。
自己破産の申立てから手続の終了まで
Aさんのようにパチンコによって借金を重ねた場合には「免責不許可事由」にあたり、原則として、自己破産の申立てをしても借金の支払責任を免除される決定(免責許可の決定)が下されず、借金を整理することができないことになります。
但し、この点については、例外があり、自己破産の申立てをした人に「免責不許可事由」があった場合でも、「申立人の反省の有無・程度」「免責不許可事由の内容・程度」「申立人の今後の更正の見込み」等を総合的に考慮して相当と判断される場合には、裁判所は自ずからの裁量で申立人の借金の支払責任を免除する決定(「免責許可の決定」)を下すことができます。(これを「裁量免責」といいます。)
そこで、当事務所は、Aさんが「裁量免責」によって裁判所から「免責許可の決定」が下されるように、これまでの返済できないほどに借金を重ねてしまった生活についてAさんに強く反省してもらい、それと同時に、これまでの生活についての「反省文」を書いてもらいました。そして、自己破産の申立てをする際に、その「反省文」を当事務所が分かりやすいように「清書」をして自己破産の申立書とともに裁判所に提出しました。
裁判所に申立書を提出した約1ヶ月後に裁判官との面接の日(破産の審尋期日)が指定されました。
その面接の際には、裁判官からAさんに対して「自己破産の申立てをする直前に支払われた退職金の使い道」などの事実を確認をするために聞かれ、Aさんがそれらの点について詳細に答えました。そして、最後に裁判官から「反省文に書かれているとおりに、今後、あなたは本当にパチンコを止められるますか。」と聞かれると、Aさんが「2度とパチンコはやりません。 今後は安易に借金をすることなく、自分の収入や生活レベルを考えた分相応の生活を送ることを肝に銘じて生きていきたいと思っております。」と裁判官の目を見ながら真剣に答えると、裁判官はその言葉を信用して下さり、無事に面接が終了しました。
(なお、本件は、Aさんがとりたてて財産を有していなかったこと、また、Aさんが真剣に反省していることを裁判官が理解して下さったことなどから、「管財事件」ではなく「同時破産廃止事件」として処理されました。)
それから約2ヶ月後に2度目の裁判官との面接の日(免責の審尋期日)がありました。その面接の際には、裁判官から、前回面接した後のAさんの生活状況に関して聞かれ、最後に「今後は安易に借り入れに頼るような生活はしないようにして下さい。世の中には、いろいろな誘惑がありますが、もし、あなたが誘惑に負けそうになったときは、この反省文を読み返して誘惑を断ち切るようにして下さい。」との御指導の言葉がありました。Aさんは、その裁判官の言葉を噛みしめるようにして聞いて、大きな声で返事をしました。そして、無事に面接も終了しました。
その後、裁判所から「免責許可の決定」が下されて、それから約1ヶ月後に確定しました。
以上の通り、裁判所に自己破産の申立てをしてから約4ヶ月後に手続の全てが無事に終了し、Aさんの全ての借金の支払責任を免除させることに成功しました。
その後のAさん
消費者金融会社やクレジット会社からの取立による借金苦から解放されたこともあり、Aさんの体調も順調に回復していきました。
そして、自己破産の手続が無事に終了してから約5ヶ月後、Aさんは、知り合いに紹介してもらった電気製品の販売会社に再就職しました。もともと、まじめな性格であり、販売員の仕事の経験も充分にあったことから、すぐに会社にも信用され期待されるようになりました。
また、新しい職場では残業も少なく人間関係にも恵まれたために、ストレスを感じることもなく、体調の面でも極めて順調にいっているそうです。
そして、現在のAさんは、会社帰りにパチンコ店の前を通る時には必ず面接の時の裁判官からの指導の言葉を思い出したり、休日には自分が書いた反省文を読み返したりして、パチンコなどの誘惑に負けない生活を送るように日々心掛けているそうです。
Aさんが自己破産をしたことによって得られた経済的利益
自己破産前のAさんの借金の状況 | |
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元金の総額(8社分) | 約500万円 |
利息 | 年利25.5%~年利29.3%(年間にして合計約140万円) |
毎月の返済額の合計(8社分) | 約20万円 |
自己破産をした後のAさんの借金の状況 | |
---|---|
元金の総額(8社分) | 無 |
利息 | 無 |
自己破産をしたことにより失った財産 | 特に無し |
②「住宅ローン」の借金が原因で「夫婦」で自己破産(神奈川県在住の夫婦・B夫妻)
当事務所に相談に来る前のB夫妻の生活状況
B夫妻の御主人は、高校を卒業後、自動車の整備会社に就職して整備士として働いていました。他方で、B夫妻の奥さんは、御主人と結婚をして子供(娘)が生まれたのを機に、それまで勤めていた会社を退職しました。
B夫妻の結婚をしてからの夢はマイホームを持つことで、そのために、新婚旅行にも行かず、日々倹約する生活を送っていました。子供が小学生の高学年になると手がかからなくなったこともあり、マイホームの購入資金を少しでも増やそうと、奥さんは結婚前に勤めていた友人が経営する会社に御願いして再びそこで働き始めました。2人とも地道に努力して働いていた甲斐もあり、二人の年収も増え続けて合計で約900万円前後の収入となりました。そして、結婚当初からためていたB夫妻の貯金も1000万円に達したの機に、念願のマイホームを購入することを決意しました。
ところが、実際にマイホームを購入する手続を進めていく中で、B夫妻の御主人が長男だったこともあり、御主人の両親と一緒に住めるようにするために「二世帯住宅」としたことなどから、予定していたよりも大幅に購入金額が増えてしまい、多少無理のあるローンを組んでマイホームを購入することになりました。
ただ、購入してから5年前後の間は、B夫妻の収入も安定していたので、それほど住宅ローンの返済に苦労することはありませんでした。
しかし、購入してから5年後の春に、御主人が勤めていた会社が倒産状態に陥り、人件費削減のために、社員全員を一旦退職させてそれまでの退職金を支払い、希望する者には新たに就職をさせて給料を大幅に下げることを断行しました。
また、それから1年後に、奥さんの勤めていた会社も丼勘定の経営が原因で倒産してしまい、奥さんの収入も無くなってしまいました。
これによりB夫妻の年収は半分以下となってしまい、B夫妻の生活は、がらりと変わりました。
B夫妻としては、やっと手に入れた、永年の夢であった、マイホームを簡単には手放したくはない、いや、絶対に手放したくはないと思い、御主人は残業に残業を重ねて働き続け、奥さんは2つのパートを掛け持って働き続けるなど、かなり無理をして住宅ローンの返済をしつづけました。
しかし、そのようにこれまでの倍以上に働いても、年収にして二人の合計で約600万円弱にしかなりませんでした。
そして、無理をして働き続けたことが原因で御主人の糖尿病の持病も悪化して、体を壊して入院してしまいました。
そこで、B夫妻は、ようやく冷静になって物事を考えられるようになり、自分たちのしている異常な生活に気付き、御主人の両親や娘とも相談した結果、マイホームを手放すことを決意し、知人からの紹介で、当事務所に相談に来ました。
当事務所に相談に来てから自己破産の申立てをするまで
まず、当事務所に相談に来るのと同時に、借金を整理することの正式な依頼がB夫妻からなされたため、当事務所はすぐに各貸金業者に「電話」をして「B夫妻の借金の整理の依頼を受けたこと」「今後は、B夫妻に対して直接的な取立行為を厳に慎むこと」及び「B夫妻に関する取引履歴(B夫妻と貸金業者との間の取引の経過の記録)を速やかに開示すること」を「口頭」で通告し、その日のうちに「配達証明郵便付」で「受任通知」を郵送しました。
次に、現在のB夫妻の生活状況などをお聞きすると、御主人は入院生活が長引いていたこともあり長年勤めていた整備会社を既に退職して無収入の状態であり、奥さんのパートの収入と御主人の両親からの援助で何とか生活しているとのことでした。
また、御主人の体調も完全によくなっているわけではなく、いつ働くことができるまで体調が回復するか分からない状態でした。
さらに、B夫妻の借金のほとんどが住宅ローンであり、その借入先の金融機関は消費者金融会社やクレジット会社ではなく利息制限法の制限利率をきちんと守って営業をしている銀行などであったため、利息制限法の制限利率に基づく引き直し計算による借金の減額も全く期待できない状態でした。
そこで、当事務所としては、御主人に全く収入がなく、また、いつから働き始められるかも分からない体調であり、借金の返済資金を用意できる見込みが全く立たない状態であったため、B夫妻に「自己破産」によって借金を整理することを勧めました。
B夫妻としては、自分達が自己破産をすることは当事務所に相談に来る前から覚悟していましたが、なにより心配していたことは、自分達が自己破産をすることによって、今後の娘の生活に支障が生じることでした。
しかし、当事務所からの説明により、親が「自己破産」をしても子供の日常生活に支障が生じることは全くといっていいくらいないことを理解して安心し、また、「自己破産をしたことによる子供の人生に対する影響を気になさるのでしたら、一日でも早く借金の整理をして経済的な再起更生を実現し、親の借金で子供に不安感を抱かせないように平穏な生活を子供に約束することが、今後の子供の人格形成にとって大切なことではないでしょうか。」という当事務所からのアドバイスに納得していただき、B夫妻は「自己破産」をすることを決意しました。
なお、当事務所の基本方針としては、本件のような住宅ローンによる借金があって、依頼者本人に反復継続して収入が得られることを期待できる場合には、「個人民事再生」という借金の整理方法があることを説明し、この方法によればマイホームを手放すことなく借金が整理できることを併せて詳しく説明します。
これは、「個人民事再生」によれば、住宅ローンについては支払方法を変更するなどしてその全額を支払うことで住宅の所有を維持できる一方で、それ以外の借金については将来の利息・損害金がカットされるだけではなく、大幅に借金の元本もカットされ、その支払いも、向こう3年以上の分割払いで支払うことによって全ての借金を整理することができます。そして、このように「個人民事再生」の手続を利用すればマイホームを手放すことなく住宅ローン以外の借金を大幅にカットできることを説明すると、「個人民事再生」によって借金を整理することを希望する依頼者の方が多いからです。
しかし、B夫妻の場合、確かに住宅ローンによる借金があるのですが、前述のとおり、現在御主人は収入がなく、また、御主人の体調を考えるといつ働き始められるかも分からない状態であったため、借金に対する返済資金を用意できる見込みが全く立たない故に、B夫妻には「個人民事再生手続」の手続について説明するのと同時に「自己破産」によって全ての借金を整理することを勧めました。
自己破産の申立てから手続の終了まで
B夫妻の借金のほとんどが住宅ローンによるものであり、その他にもとりたてて問題がなかったため「免責不許可事由」にあたるということはありませんでした。
また、住宅ローンについてはB夫妻が連帯して二人で支払う責任を負っていたため、B夫妻二人で自己破産をすることになりました。
そして、当事務所は、裁判官との面接の日が夫婦で一緒に行われるように、B夫妻の二人分の自己破産の申立書を同時に裁判所に提出しました。
裁判所に申立書を提出した約1ヶ月後に裁判官との面接の日(破産の審尋期日)が夫婦で同じ日時に裁判所から指定されました。
(なお、夫婦が同時に自己破産の申し立てをしたからといって、裁判官との面接の日(破産の審尋期日)が必ずしも同じ日時に指定されるわけではなく、事案によっては別の日時を指定されることもあります。)
その面接の際には、B夫妻には「免責不許可事由」がなかったこともあり、裁判官から申立書の記載内容に関して事実関係を確認するためにいくつか聞かれるだけで、すぐに面接は終了しました。
(なお、本件は、B夫妻がマイホーム以外にとりたてて財産を有していなかったこと、また、住宅ローンの残額がマイホームの評価額の1,5倍以上であったことなどから、「管財事件」ではなく「同時破産廃止事件」として処理されました。)
それから約2ヶ月後に2度目の裁判官との面接の日(免責の審尋期日)がありました。その面接の際には、裁判官から、前回面接した後のB夫妻の生活状況などが聞かれるだけで、すぐに面接は終了しました。
その後、裁判所から「免責許可の決定」が下されて、それから約1ヶ月後に確定しました。
以上の通り、裁判所に自己破産の申立てをしてから約4ヶ月後に手続の全てが無事に終了し、B夫妻の全ての借金の支払責任を免除させることに成功しました。
その後のB夫妻
借金苦や無理な残業を繰り返す毎日から解放されたこともあり、御主人の体調も順調に回復していきました。
そして、自己破産の手続が無事に終了してから約4ヶ月後、以前勤めていた会社の特別な計らいにより、御主人は、その会社で再び働くことができるようになりました。
その後は、もともとB夫妻の二人はまじめな性格で倹約家であったため、二人の収入と御主人の両親の年金だけで、家族5人とも何不自由のない生活を送ることができるようになりました。
また、娘さんも無事に大学を卒業し、現在は就職して働いているそうです。
ところで、自己破産の手続が無事に終了して生活が落ち着いた頃にB夫妻が当事務所に挨拶に来られた際におっしゃられていた言葉で印象に残ったものをあげますと、「住宅ローンを組んでからというものは幸福を感じられることは全くありませんでした。本当に最後まで住宅ローンの返済ができるのか不安で不安でしょうがなく、念願のマイホームも、人から借りているのか、自分たちのものなのか分からない気持ちでした。お金の使い方で夫婦喧嘩も多くなり、生活の全てが住宅ローンの返済に縛られるストレスの多い毎日でした。今は、住宅ローンの返済から解放され、生活にも余裕ができ、先日、ずっと先延ばしにしていた新婚旅行を兼ねて二人で温泉旅行に行ってきました。もし、マイホームにこだわり続けていたら、夫婦で一生旅行に行くこともできなかったのかもしれません。夫婦が幸福になれると思って頑張ってマイホームを持ったのに、マイホームを持つことが私達夫婦の不幸の原因になるとは夢にも思いませんでした。もっと早くにそのことに気がつきたかったです。」とB夫妻はおっしゃられていました。
なお、マイホームの売却先が決まったのは、自己破産の手続が終了した1年後で、それまでの間はB夫妻の家族はマイホームに住み続けていました。
B夫妻が自己破産をしたことによって得られた経済的利益
自己破産をする前のB夫妻の借金の状況 | |
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元金の総額(4社分) | 約4000万円 |
毎月の返済額の合計(4社分) | 約22万円 |
自己破産をした後のB夫妻の借金の状況 | |
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元金の総額(4社分) | 無 |
利息 | 無 |
自己破産をしたことにより失った財産 | マイホーム以外特に無し |
③「100万円」の借金が原因で自己破産(千葉県在住の女性・Cさん・53歳)
当事務所に相談に来る前のCさん夫妻の生活状況
Cさんは、御主人と20年前に知り合い、その後、御主人と結婚しました。御主人の仕事は、飲食店に勤務する調理師で、子供に恵まれなかったCさん夫妻の結婚してからの夢は自分たちのお店を持つことでした。そのために、奥さんはパートに働きに出たり節約生活を日々心掛けたりするなどして、開業するための資金を夫婦で一緒になって貯めていました。そして、6年前に開業するための資金が充分に貯まったのを機に御主人は勤めていた飲食店から独立し、奥さんもパートを止めて、夫婦で長年の夢だった自分たちの店を持つことになりました。
しかし、Cさんの御主人は調理師としての腕前は一流だったのですが、人の良い性格をしているせいか経営の方は必ずしも得意ではなく丼勘定の経営が原因で、開業してから2年後には開業前に貯めていた貯金を全て使い果たしてしまいました。それからというものは、御主人が消費者金融会社などから借り入れることによって夫婦の生活費やお店の運転資金を用立てていました。さすがにこのままではお店が潰れてしまうと思ったCさん夫妻は、何度も相談を重ねて、それまでは値段のことはあまり考えずお客さんにおいしいものを提供することだけを心掛けていたのですが、お店の経営方針を変えて、安くておいしいものを提供するように心掛けたり、近くの駅前でお店の呼び込みのためのチラシを配るなどして、それまで全くやっていなかった営業活動を熱心に行うようになりました。
しかし、それから1年後に慣れないお店の経営の気苦労が原因なのか、御主人が胃腸を壊して長期入院を余儀なくされました。
御主人が入院した時のCさん夫妻の生活は、お店の赤字は解消されていたとはいえ、ギリギリの生活を送っていたために貯金も全くなく、それどころか、御主人の消費者金融会社などからの借金も依然として残っている状態でした。しかし、それでもCさんは、御主人の借金の返済金、お店の家賃、入院費、及び、生活費などを用立てなければならず、そのために友人・知人からお金を借りまくり、それも限界に達すると消費者金融会社からも借り入れるようになりました。
Cさんの消費者金融会社からの借金が「100万円」を超えた頃には、御主人の消費者金融会社などからの借金及び友人・知人からの借金を合わせて合計すると1000万円以上になってしまいました。
また、御主人の体調も一時は生死をさまようような状態にまで陥るなど、依然として長期入院を覚悟しなければならない状態でした。
そこで、Cさんは、ようやく冷静になって物事を考えられるようになり、自分たち夫婦の借金がもはや返済不可能なほどに陥っていることに気付き、御主人とも相談した結果、お店を畳むことを決意し、知人からの紹介で、当事務所に相談に来ました。
当事務所に相談に来てから自己破産の申立てをするまで
まず、当事務所に相談に来るのと同時に、借金を整理することの正式な依頼がCさんからなされたため、当事務所はすぐに各貸金業者に「電話」をして「Cさんの借金の整理の依頼を受けたこと」「今後は、Cさんに対して直接的な取立行為を厳に慎むこと」及び「Cさんに関する取引履歴(Cさんと貸金業者との間の取引の経過の記録)を速やかに開示すること」を「口頭」で通告し、その日のうちに「配達証明郵便付」で「受任通知」を郵送しました。
(なお、御主人の借金に関しては、御主人が外出することを医者から許可されず当事務所に来ることができなかったため、Cさんから正式な依頼があった日の翌日に当事務所の司法書士がCさんと共に病院に行って御主人と会い、御主人の委任の意思を確認するとともに、御主人に委任状を書いてもらい、その後で、御主人の借入先の各貸金業者に対して「受任通知」を郵送しました。
これは、当事務所の基本方針として、一度も当事務所の司法書士と会わずに依頼を受けることは職業倫理観上問題があると考えており、必ず一度は当事務所の司法書士と面談をしてから依頼を受けることを当事務所は心掛けているからです。)
次に、現在のCさん夫妻の生活状況などをお聞きすると、御主人は入院中でお店を開くことができず、半年前からCさん夫妻の収入が全く無いという状態でした。
また、御主人の体調もいつ働くことができるまで回復するか分からない状態であったため、お店を畳み、「自己破産」をすることによって、全てを一からやり直すことをCさん夫妻は既に覚悟していました。
さらに、Cさん夫妻と各貸金業者との間の取引期間はいずれも短く、利息制限法の制限利率による引き直し計算をしても、過払金の存在はもちろんのこと、大幅な借金の減額も期待できない状態でした。
そこで、当事務所としては、Cさん夫妻に全く収入がなく、また、御主人がいつから働き始められるかも分からない体調であり、さらに、Cさん夫妻がお店を畳み「自己破産」をすることを既に覚悟していましたので、Cさん夫妻に「自己破産」によって借金を整理することを勧めました。
そして、当事務所からの説明により、「自己破産」をしても今後の日常生活に支障が生じることがほとんどないことを理解して安心し、Cさん夫妻は何の迷いもなく「自己破産」をすることを決意して、お店も畳むことになりました。
自己破産の申立てから手続の終了まで
まず、当事務所がCさん夫妻が借金をしている「友人・知人」の方々にCさん夫妻の生活状況を説明し夫婦で自己破産の申立てをする予定であることを告げると、その「友人・知人」の全ての方々から借金を免除する旨の申し出がありました。これにより、Cさん夫妻の「友人・知人」からの借金については自己破産の申し立てをする前にその全てを整理することができました。
次に、Cさん夫妻の借金は事業資金や生活費を用立てるためのものであり、その他にもとりたてて問題がなかったため「免責不許可事由」にあたるということはありませんでした。
また、Cさん夫妻が共に無収入であり、共に返済できないほどの借金を負担していたため、Cさん夫妻が共に自己破産をすることになりました。
但し、その時にはまだ御主人は外出することを医者から許可されない状態であり裁判官と面接するために裁判所に行くことができなかったため、御主人については体調の回復を見ながら時期をみて自己破産の申し立てをすることとし、とりあえず、Cさんの分だけ自己破産の申立てをすることになりました。
裁判所に申立書を提出した約1ヶ月後に裁判官との面接の日(破産の審尋期日)が指定されました。
その面接の際には、Cさんには「免責不許可事由」がなかったこともあり、裁判官から申立書の記載内容に関して事実関係を確認するためにいくつか聞かれるだけで、すぐに面接は終了しました。
なお、本件は、Cさんがとりたてて財産を有していなかったことなどから、「管財事件」ではなく「同時破産廃止事件」として処理されました。)
それから約2ヶ月後に2度目の裁判官との面接の日(免責の審尋期日)がありました。その面接の際には、裁判官から、前回面接した後のCさんの生活状況などが聞かれるだけで、すぐに面接は終了しました。
その後、裁判所から「免責許可の決定」が下されて、それから約1ヶ月後に確定しました。
以上の通り、裁判所に自己破産の申立てをしてから約4ヶ月後に手続の全てが無事に終了し、Cさんの全ての借金の支払責任を免除させることに成功しました。
なお、Cさん自身の借金の総額は「約100万円」と比較的少額といえますが、裁判所はCさんが「自己破産」をすることを問題なく認めました。
これは、以下の理由によるものです。
「自己破産」をすることを裁判所に認めてもらうための主な条件の一つとして「申立人が「支払不能」の状態であること」があり、この条件が満たされていないと「自己破産」をすることは認められません。
ところで、「支払不能」とは、現在負担している借金などを返済できるだけの資力をもたず、また近く入手できる見込みもないために、借金などを返済する能力が一般的かつ継続的に欠けている客観的な状態をいいます。
そして、「支払不能」の該当性の判断は、借金などの総額、借主の仕事、年齢、収入、財産などのさまざまな事情を考慮して、客観的かつ個別的に判断されます。
(なお、専門家が判断する場合には、一般的に、申立人の現在有している財産及び毎月の返済可能額(毎月の収入から毎月の生活費を引いた金額)によって、全ての借金を3年以内に返済できなければ「支払不能」の状態であると判断することが多いといえます。)
本件に関しては、Cさんの借金の総額は「約100万円」でしたが、
1. Cさんはお店を手伝っているだけの「専業主婦」であり、収入が全くなかったこと。
2. Cさんの「約100万円」の借金は、友人・知人からのものでもなければ、銀行等からのものでもなく、利息の高い消費者金融会社からのものであったこと。
3. Cさんの御主人も収入がなく、また、返済できない程に借金を負担していたこと。
などの理由により、Cさんが「支払不能」の状態であることは問題なく認められます。
以上のことから、裁判所はCさんが「自己破産」をすることを問題なく認めました。
その後のCさん夫妻
Cさんの自己破産の手続が全て無事に終了してから約4ヶ月後に、御主人の体調も良くなり、外出することを医者から許可されたため、御主人についても自己破産の申立てを裁判所にしました。「免責不許可事由」もなく、裁判官との面接も問題なく終了し、申立てをしてから約4ヶ月後に自己破産の手続が全て無事に終了し、御主人の全ての借金の支払責任も免除させることに成功しました。
御主人の自己破産の手続が終了してから約3ヶ月後には、「借金苦」から解放されたこともあり、御主人の体調は働くことができるまでに回復し、医者からも許可されたため、御主人は働きに出ることを決意しました。
もともと、調理師の腕前は一流だった御主人は、それほど苦労することもなく再就職先がみつかりました。
また、奥さんも、御主人の体調が良くなり看病する必要がなくなったのを機に、パートに出て働くようになりました。
今では、御主人の収入と奥さんの収入でとりたてて不自由なく暮らすことができるようになりました。
そして、たまの休日には、借金を免除してくれた友人・知人を自宅に招いて御主人の料理を振る舞ったりするなどして、自分たちの借金を整理する際にお世話になった方々に感謝する気持ちを持ちながら、平穏で幸福な毎日を送っているそうです。
Cさん夫妻が自己破産をしたことによって得られた経済的利益
自己破産をする前のCさん夫妻の借金の状況 | |
---|---|
元金の総額(10社分) | 約700万円 (友人・知人に対するものを除く) |
利息 | 年利25・5%~年利29・2%(年間にして合計約200万円) |
毎月の返済額の合計(10社分) | 約30万円 |
自己破産をした後のCさん夫妻の借金の状況 | |
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元金の総額(10社分) | 無 |
利息 | 無 |
自己破産をしたことにより失った財産 | 特に無し |
〒901-3124
沖縄県島尻郡久米島町字仲泊1201番地 202